ESSAY/エッセイ

津田浩司 「日常の場でデータを採る」(『Field+(フィールドプラス)』第5号 2011年1月)

椎野若菜「フィールドワーカーのためのネットワークFieldnetへようこそ!」(『Field+(フィールドプラス)』第 4号 2010年7月)

小田淳一「旋律を見る」(『Field+(フィールドプラス)』第3号 2010年 pp. 22-23)

椎野若菜「結婚は一回きり、でも代理夫はなんどでも変えられる」(『Field+(フィールドプラス):特集「シングル」で生きる』第1号 2009年1月 pp.3-4.7)

小田淳一「文化的仲介者としての日本」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(153)』第120号 2007年7月 p.24)

椎野若菜「ケニア・ルオ村落で迎えた年末年始」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(152)』第119号  2007年3月  pp.20-21) 

小田淳一「レバノンからの脱出」(『通信』第118号 2006年11月 pp. 7-10)

椎野若菜「フィールドでの出会い」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:自己紹介』第117号  2006年7月  pp.33) 

深澤秀夫「マダガスカルの村の20年」(『自然と文化そしてことば』第2号 葫蘆舎 2006年 pp.50-64 所収「インド洋の十字路マダガスカル」を基に加筆修正)

深澤秀夫「マダガスカルにおける呪文」(『自然と文化そしてことば』第1号 葫蘆舎 2006年 pp.32-41 所収を基に改稿)

小田淳一「アラビアン・ナイトで村おこし?」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(139)』第107号 2003年3月 p.18)

小田淳一「雨告鳥」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(136)』第103号 2001年11月)

西井凉子「タナーン岩の棺桶」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(132)』第100号 2000年11月 pp.12-13 )

小田淳一「砂漠に還る日」 (『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(131)』第99号 2000年7月 p.24)

小田淳一「混成の小宇宙 -レユニオン島-」(『通信』第99号 2000年7月 pp. 1-10)

小田淳一「真夏の結婚式」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(129)』第97号 1999年11月 p.31)

西井凉子「タイ、イギリス『現地』体験-子連れも楽し」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信』第96号 1999年7月 pp. 20-28)

小田淳一「電子カーヌーンの夢」 (『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(122)』第93号  1998年7月 p.19)

西井凉子「村の企業家-プラノーム先生」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(112)』第85号 1995年11月  pp.34-35)

深澤秀夫「おれに関する噂」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(106)』第80号 1994年3月 p.18)

深澤秀夫「小さきもの好きの運命あるいはマダガスカルへの道」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:新入所員自己紹介』第78号  1993年 p.25 を基に一部改稿)

宮崎恒二「フェルベルグ夫妻のこと」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(80)』1990年3月第68号 p.21)

宮崎恒二「ジャワの座敷童子」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(59)』1984年7月第51号 p.39)

高知尾仁「女の霊相、あるいはAs you like it」(『アジア・アフリカ言語文化研究所 通信:民族のこころ(31)』1976年3月第26号 p.9 )