報告の概要(第4回公開セミナー)

■「生成する」コミュニュティ-タイにおける社会運動経験から(西井凉子)
 南タイの調査村では、1930年代にインドにおいて西洋との対峙において始まったダッワ(da'wa)と呼ばれるイスラーム復興運動の一つであるTablighi Jamaat運動の影響が、近年見られるようになった。ダッワはタイにおいては1960年代に、都市部に居住する南アジア系ムスリムを介して広がった。南タイの調査村においても、1990年代以降、村のモスクを訪れるダッワのグループが見られるようになり、2000年には、ダッワの活動に従事する村人が現れはじめた。その変化は、それまで酒のみムスリムだった人々が、うってかわってイスラーム実践を熱心に行い、モスクに集う姿に顕著に現れる。本論は、ダッワ運動の広がりとそれに関わる人々の経験に焦点をあてて、南タイの村落におけるミクロな関係からコミュニティを再考することをめざす。そこでは、居住し、実質的な相互交渉をもつ村落内の関係性において、運動が個と個をつなぐネットワークとして広がり、身体運動として展開している。本論は、アイデンティティのよりどころとしての想像のコミュニティの復活といった抽象的な議論では捉えきれない、身体としての存在から立ち上がる関係性を個々の生の経験に立ち返って議論することからコミュニティを再考することになろう。

■コモロ民話におけるモティーフ群のミクロ/マクロな結合(小田淳一)
 コモロ民話には幾つかの特徴的な登場人物(スルタンやジン,またトリックスターとしてのイブナワシなど)が出現し,様々な物語を繰り広げる。それらの物語は,幾つかのモティーフ単位の結合によって構成されているが,それらの単位としては,例えば,登場人物の類型化から導き出されたイーミックな単位としての「役割」の共出現,登場人物による行為を範疇化したプロップ的「機能」群の水平軸(連辞軸)上の結合,さらには,それらの「役割」や「機能」がテクスト表層で実際に語られる際の,登場人物の具体的な属性や,具体的な行為などのエティックな単位の,垂直軸(範列軸)上の選択による結合などがある。一方,イーミックな単位の結合は,集合表象を構成する物語内容レベルのマクロな結合であり,またエティックな単位の結合は,個人表象を構成する物語表現レベルのミクロな結合であると見なすことが出来る。そして,モティーフ単位の結合には幾つかの傾向が明らかに存在する。本論考は,コモロ民話に見られる,それらのイーミック/エティックなモティーフ単位群の,マクロ/ミクロな結合の分析を,情報生物学のツールを用いて計量的に行う。

■「1981年~1986年マダガスカルにおける画像表現:tantara an-tsaryの生成と消滅におけるmangaとbande dessinée」(深澤秀夫)
 マダガスカル語でマンガを、「絵のついた物語」(tantara an-tsary)と呼ぶ。Tantaraの単語には、マダガスカル語辞典では「歴史、物語」(histoire, récit)の訳語があてられている。この単語によって呼ばれる最初の画像表現は、'61年~'62年にかけて出版されたNy Ombalahibemasoである。これは18世紀のイメリナ(Imerina)王国の実在の王の生涯を描いた作品であり、「絵のついた物語」と言う名称を体現している。しかしながら、この作品に続くtantara an-tsaryは、同時代に現れなかった。その後、1981年~1986年になり、tantara an-tsary雑誌の創刊と出版があいついだ。Tantara an-tsaryの時代はこの5年間にとどまり、tantara an-tsaryが日本の文化と社会におけるマンガの位置づけを獲得することはなかった。マダガスカルの文学や絵画や演劇表現における市場成立の難しさと言う共通の問題を別にすれば、この画像表現が定着しなかった理由は、「絵」と「物語」が融合しなかった点に求められる。すなわち、フランスのbande dessinéeが「絵の帯」の名に示されるように、連続コマとしての継起性と筋書きを不可分のものとしており、その影響を強く受けて成立したtantara an-tsaryもまた、その創成期から物語的特徴を強く帯びていた。その結果、テレビの普及と放送局の複数化、各国製アニメーションの流入、ビデオ映像によるマダガスカル製映画の増加、VCD媒体による画像の量販化に伴い、消費者がtantara an-tsaryに求めていた「物語」としての娯楽的要素が全て代替されてしまったのである。現在、当時の画像表現が新聞の一コママンガとしてだけ残っていることも、tantara an-tsaryにおける「絵」と「物語」の分裂を示している。一部のtantara an-tsaryの作家たちは、日本のマンガにおける「コマわり」表現を意図的に導入しようとしたものの、それが普及し定着するための時間として5年間は短すぎたと言えよう。

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