風間伸次郎(採録・訳注).2000.『ナーナイの民話と伝説5』(ツングース言語文化論集14,東京外国語大学)より

歌1

1999年3月22日 ダエルガ村にて録音

N. B. Gejker氏口述


balanaabalǰiidoji-kaa,təniitəəriiduji-kaa,
暮らしていた時に、やっと大きくなった頃に、
botaiərindu-kəəbotami-kaapulsikəjə̂,xaninairaanina,
漁する時には漁をして歩き回っていた、ハニナイラーニナ(意味のないリフレイン)、
kolxozaplambani,isiočimi-labotaidojia,xaninairaanina,xaninairaanina,
コルホーズの計画を、がんばって漁していた時に、ハニナイラーニナ、ハニナイラーニナ、
kəčiiwəkərkičəkəi,kuərəwəkuŋkučikəi,xaninairaanina,xaninairaninana,
鯉をハンマーで叩いた、アムールシロザケを背中を叩いた、ハニナイラーニナ、ハニナイラーニナ、
taonǰaambatamaɡokai,karimba-daakampiɡokai,
ウスリーシロザケに似た淡水魚も集めた、ブリーム(コイ科の扁平な淡水魚)も積んだ、
okowa-daaoosikapo,ukiwə-dəəuiləɡukəpu,xaninairaanina,xaninnaniraanina,
ウグイに似た魚も片付けた、ニゴイも処理して働いた、ハニナイラーニナ、ハニナイラーニナ、
əsi-kəətuibalǰiiɡursəlbaakiǰibalǰiiči,
最近のこうして暮らしている人たちは怠けて暮らしていることよ、
taabaɡiači-a-daamotoranaaənəəsi,
ほうれあの向こう岸にさえもボートの発動機がなければ行かないし、
buə-təniiɡioliǰiɡiolimi,səulǰisəulimibotami-lapulisiidoji,
私たちは櫂で漕いで、舵で舵をとって、漁して歩き回る時には、 (その時の私は)これくらいの小さな体だったし、あんなふうな顔や姿だったことよ、
masi-daabalǰioxani,masi-daabiuxəni,xaninairaanina,
強く暮らしてきた、がんばって生きてきたことよ、ハニナイラーニナ、
partoaŋɡola,daaaldambani,ɡiolǰiɡiolimi,
パルトアン(地名)で、河口の間の所を、櫂で漕いで、
xorpowanixolǰami,daombanidaxami,
渦をやり過ごし、流れを追いかけて、
əɡəələpulsixəni,xaninairaanina,xaninaniraanina,
お姉さんの所へも通ったわ、ハニナイラーニナ、ハニナイラーニナ、
əiləəbəjəkəəmbi,əiləəčiurini,
今もまたこれくらいの小さな体で、今はまたこんなふうにいまいましくも動かない体だよ、
xaosi-laočogoorini,xaninairaanina.
(老いてしまった今、これからの私は)どうなることだろうか、ハニナイラーニナ。
ələəxaitəǰəku,čukinǰari.
終り、何がたいしたものだろうか、つまらない唄だよ。