風間伸次郎(採録・訳注).1998.『ナーナイの民話と伝説4』(ツングース言語文化論集12,千葉大学)より

10. Марӥа(Мӥӈго) Чусамбовна Гейкер

一代記

1992年7月29日、ナイヒン村にて、Мария Чусамбовна Гейкер(ゲイケル)氏(女性、1918年Cӥӥра村生まれ)より録音。


мииамӥм-бӥтэӈмаӈга[очотник]аби-чи(н).сээпэ=дээ
私の父はとてもすごい猟師だった。クロテンも
ваа-рӥӥхамачаа=дааваа-рӥӥхэмваа-рӥӥ.ноањ(ӥ)тэӈ
獲る、どんなのも獲る、みんな獲る。彼はとても
дааӥ[охотник]аби-чи-њ(и),хаӥ-ва=даахэмваа-рӥӥ,эи
偉大な猟師だった。何でも全て獲る、この
наадоо-ла-њӥби-ињэпултэ-вэчуӈнуваа-рӥӥ.ноањӥулээн
世の中にいる毛皮獣をすっかり獲る。彼は良い
наӥби-чи-њ(и),ии,улээннаӥби-чи-њ(и).буэǯоок-по
だった、そう、良いだった。私たちの家は
дааӥǯоо,эи=мээби-иǯоо.ǯоа~ннаӥби-чин,мии
大きな家、この家くらいの家だった。十人の人がいた、私の
амӥм-бӥ[семья]-њӥ.пури-њи,асӥ-њӥ,амӥ-њӥ,
父の家族は。子供たち、妻、父、
[деда]-ӈго...амӥ-по,даамӥ-помама-њӥ,хэмту-њииǯоан
祖父、祖父の妻、全員で十人の
наӥ=гоањ(ӥ).буэоркӥн-ǯӥхаалӥ=дааэчиэбалǯӥ-а-по.
人なのだ。私たちは悪くなぞいつだって暮らしたことはなかった、
буэамӥ-по[очень]улээнбалǯӥ-ха-њӥ,[багато]-ǯӥ.
私たちの父はとても良く暮らした、豊かに。
хамачаа-ǯӥ=дааэчиэ=дээсинэǯи-э-пу.сӥа-ор(ӥ)ǯака-ǯӥ,
何に困ることもなかった。食べる物でも、
[(с)к[а]лад]а=мањабоа-латакто=мања,тоӥӈгатакто.опа,
倉庫ばかり、外には倉だらけ、五つの倉だ。小麦粉、
[к[у]рупу]нуучи-њ(и)[два]такто,[три]ӥлаантакто=тањӥӥ,
粟の小さい二つの倉、三つの倉は
огасан=даахаӥ=даахэмдава[солил]а-хан=даа,[мясо]
干し魚でも何でも全て、サケを塩したやつも、肉を
ваа-рӥӥ=даа[рыб]э-вэваа-рӥӥ=даа,тэитакто-до-jӥ
獲ったのも、魚を獲ったのも、その倉に
нэучэ-хэ-њи.хамачаабосо=даабундуӥсӥ-ӥ.хаӥ=даахэм
しまっておいた。どんな布も私たちには十分ある。何でもみな
буэ[охота]ла-мӥ=мања,мэнэǯобо-мӥ=мањаваа-ха-њӥ.бумбиэ
私たちが狩りしたのだけで、自分たちの働きだけで獲ったものだ。私たちは
уǯи-хэ-њихаӥ-ǯӥ=дааэчиэ...,[огород]а-по=даадааӥ.
育った、何で不自由することもなく、畑も大きい。
морӥн-по=дааӥлаан.мииамӥм(-бӥ)нэу-њибуээксэм-пу,
馬も三頭。私の父の弟、私たちの叔父さん、
ноањ(ӥ)=дааǯоо-њ(ӥ)дааӥ,амаа-наа(-ǯӥ)гэсэаӈго-ха-чӥ.
彼の家も大きい、父たちといっしょに作った。
[отдельно]гоӥгоӥǯоо.хаӥ-ǯӥ=дааэчиэмохо-а
別々に別々の家。何が足りないこともなかった、
ноан-до-а-њӥ.ноањ(ӥ)пиктэ-њи,ӥлаанэктэ,ǯуэхусэ,
彼の所に。彼の子供は、三人は女、二人は男、
мииэксэм(-би)пиктэ-њи,тоӥӈганаӥ,ии.ӥлаанэктэ
私の叔父さんの子供は五 人、そう。三人は女、
ǯуэхусэ.тэидааӥпиктэ-вэ-њи=тэњии,наӥваа-ха-њӥ.
二人は男。その大きな子を、 人が殺した。
[охота]ла-ӥ-до-jӥњоочала-м(ӥ)ваа-ха-њӥ,наӥ.хооњаулээн
狩りをしていた時に銃を撃って殺してしまった、人が。どんなにか良い、
мииэксэм(-би)пиктэ-њи.мииэксэм(-би)пиктэ-њичуу
私の叔父さんの子供。私の叔父さんの子供の一番
дааӥхусэпиктэ-њи,[Комсомольск]а-ванаӥаӈго-ӥ-до-а(њӥ)
大きい 男の子は、コムソモリスクを人々が作る時に
ноачӥ[(с)тройка]аӈго-ха-чӥ,[Комсомольск]а-ва.ноањӥ
彼らは建物を作った、コムソモリスクを。彼は
[очень]ноањӥ,лоча-доосӥњӥ[красивый]пиктэби-чи-њ(и),
とっても、彼はロシア語でなら美しい子供だった、
[здоровый].наанаӥ-сал[Комсомольск]ааӈго-мӥ,эи
たくましい。ナーナイ人もコムソモリスクを作った、ここの
наанаӥ-сал,Наӥхӥӈ-каан=даахэм,Даергаӈ-каан=даа,хаӥ,
ナーナイたち、ナイヒンの人たちも皆、ダエルガの人たちも、
Куруӈ-кээн=дээ[все]Сӥӥраӈ-каанчуӈнуу,[Комсомольск]а-ва
クルンの人たちも皆、シラ村の人たちも総出で、コムソモリスクを
наӥ=тањӥӥ[(с)трой]...аӈго-мӥтэпчиу-рии-ду-э-њи,наанаӥ
人が  作り 始めた時に、ナーナイも
эгǯиǯобо-хан,лочанаанаӥ=даа.лоча=мањааӈго-ха-њӥ,
たくさん働いた、ロシア人もナーナイも。ロシア人ばかりで作ったのではない、
тэинаанаӥгэсэǯобо-ха-чӥ.эс(и)хооњадааӥхотон
このナーナイも一緒に働いた。なんて大きな街に
осӥ-ха-њӥ.буэ,буэӥхом-погэрбу-њи=тэњииДулэлэби-чин.
なったことか。私達の村の名前は ドゥルルだった。
эсихамӥлабуэбалǯӥ-ха-по[колхоз]осӥ-го-очӥа-њӥ
さてそれから私達は暮らした、コルホーズができたら、
балǯӥ-ха-по=тањӥӥ,мэнээњим-бэр(и)бурбу-учиэ-њи=э=тэњии,
私達は暮らした、 自分の母が亡くなったら、
Сӥӥрабааро-а(-њӥ)наӥхэмгэлэ-гу-хэ-њи=го(ањӥ),[колхоз]а
シーラ村の方へ人が寄せ集めたのだ、コルホーズが
осӥ-ӥ-до-а-њӥ.миитадонучикуукээнби-чин,хэмсаа-рӥӥ.
できる時に。私はその時とても小さかったが、全部知っている。
мии[мама]-jӥбу-дии-ду-э-њ(и)тэӈдааӥ=тањӥӥ,[девять,
私のお母さんが亡くなった時にはちょっと大きかったけど、九才だか、
десять,]года...аӥӈањӥби-чим-би.тадомиигучкули-кээн
十才だか、だった。 その時私は可愛い
арчокаанби-чин.мииэикэ-нээ-jихэм[свата]ла-маарӥ
だった。私の姉たちは結婚して
эǯи-гу-эрибаа-ха~н,мии=рэгдээабаа,эчиэ[свата]ла-а.
夫を得た、私だけがそうじゃない、まだ結婚してなかった。
абаа~эсисээгǯэносӥ-очӥа-њӥ,наӥхаӥ[свата]ла-ӥ,[всё
いや、もはやソビエト時代になっていたから、どうして以前の様に結婚しよう、
равно]мииамӥм-бӥэǯи-гу-jибаа-рӥӥ-до-jӥ-ва,мииэǯи-jи
それでも、私の父は夫を私が迎える時に、私の夫の
амӥ-њӥ[многомного(в)сякайтовары(в)сякай]ǯӥха
父はたくさんたくさんあらゆる品物、あらゆるお金、
хаӥ=даахэмхэмбуу-хэн.нӥканǯӥха-ва-њӥ=даа,[как
何でも全て全てくれた。中国のお金も、だ。
сват]а-ва.[(в)сякай(в)сякайодёшку].улээнпиктэ-jи
婚資として。あらゆるあらゆる服など。良い子供を
эǯи-гу-э-њибуу-рии-ду-jи,асӥ,наӥасӥ-го-а-њӥ
人の嫁に
буу-рии-ду-jи,баланаатуиби-и.мээнпиктэ-jинаӥ
やる時には、昔はそのようである。自分の子供を人が
асӥ-го-jӥǯапа-ӥ-до-а-њӥ.наӥтаjа-ǯӥабуу-рии-њ(и)=го(ањӥ)
妻に取る時には。 人は向こう側から物をあげるのだ、
хаӥ-ва=даахэм.ǯӥха-конаӥǯӥха=даабуу-рии.хачӥн
何でも全て。お金のある人はお金をやる。さまざまな
[товары,]манǯо-ӈгӥбосо,[пальто]=мааби-и[шубу]
品物、満州の物である布、外套のようである、毛皮外套、
дака=мааби-ихамачаа=даахэм[шёлку,]туиби-и[закон].
毛皮外套のような、どんなのも全て、絹製で、 そういうきまりだ。
наӥтуибуу-рии-њи.буэамӥ-по=даагучибуу-рии.
人はそのように与える。私達の父さんもまた与える。
тэимииэǯи-jиамӥн-до-а-њӥ.[это]наӥ-ӈгӥ=даа
その私の夫の父親に。人の物(彼の父の物)も
ǯи-дии-њ(и)=го(ањӥ)бунчи.буэ=дээамаатэи=мээбуу-рии.
来るのである、私達の方へ。私達も父がそのように与える。
мииамӥм(-бӥ)=даахаӥ-ǯӥ=даасинэǯи-эси.хаǯом-ба,пиктэ-jи
私の父も何でだって 不自由しない。品物を、子供を
асӥ-го-jӥнаӥǯапа-ӥ-до-а-њӥ,[многомногопостель]
妻として人が取る時に、たくさんたくさんの布団を
буу-рии,наанаӥ.[всякая]котаан=даакалан=даа,
やる、ナーナイは。あらゆる皿も、鍋も
урктэми=дээ,[корзинка]=даа,[десятьхалат]а~,[шили
アシの篭も、篭も、十枚の服、縫った、
нанайскийхалат]а,[годадвадцатьносить]ла-ǯаа-чӥ=а.полта
ナーナイの服、20年くらいは着られるような。掛け布団でも
хамачаа=даахэмполта[мат[а]рас]хаӥ-ва=даахэмбуу-рии.
どんなのでも掛け布団、マットレス、何でも与える。
баланаанакан(-до)наӥби-чин=го(ањӥ),тамачаахачӥн
昔はオンドルに人はいたのだが、そうしたさまざまな
сакта(н)хаӥ=даа.туиби-игӥан.мииэǯи-гу-jи
敷物や何か。 そういうきまりだ。私は夫を
баа-хан=даамииэǯи-jихаӥ-ǯӥ=дааэчиэсинэǯи-э,мии
得たが、私の夫も何で不自由することもない、私の
эǯи-jиамӥ-њӥ,мииамӥм-бӥ=маадааӥ[охотник]аби-чин.
夫の父は、私の父のように偉大な猟師だった。
[всегдапушнина,дорогойпушнина]сээпэ=дээ,[соболь]=даа
いつも獣皮が、高価な獣皮が、クロテンも、クロテンも
хамачаа=даахэмњэпултэ-вэваа-маар(ӥ),ноачӥтуиэм,
どんなのも全ての毛皮獣を獲って、彼らはそうして
баjаннаӥ=маабалǯӥ-ха-чӥ.эӈ,[мы,]буэоњӥ-до
金持ちの人のように暮らした。私達 アニュイ川に
балǯӥ-ӥ-њӥӥ,Наӥхӥн(-до)балǯӥ-ӥ-њӥӥ,улээннаанаӥ
暮らす者も、ナイヒンに暮らす者も、良いナーナイの
[охотни]а-њӥхаалӥ=даадаэчиэсинэǯи-рэ.кто]баасӥӥ,
猟師たちはいつだって不自由したことはない。ただ怠け者は、
уибаасӥӥ,[да?]тэи=рэгдээњаӈга,[ведный
怠け者は、それだけは少し、貧乏に
жили]-и-њи=гоањ(ӥ).эси=дэээмуту,[да,]уибаасӥӥ,
暮らすのだ。今だって同じだ、 そう、怠け者は
ǯэ-муси,уибаасӥ-асӥǯэ-муси-эси.балǯӥ-хан-ǯӥ-jӥмии
飢える、怠けない者は飢えない。生まれてから私は
дааӥурэ-и,эǯи-гу-jибаа-хан,мииэǯи-jи[первый,
大きく育ち、夫を得た、私の夫は最初の、
сорак]а-ва[годавойна]осӥ-ӥ-до-а-њӥэǯи-jи=дээ[война]-чӥ
  40年代の戦争になった時に私の夫も戦争へ
энэ-хэн.[послевойна]-до,ǯиǯу-хэнэм[года]=даа[чуть]
行った。戦後に戻ってきたが、一年と少し、
эму[года]-доби-мибуи-кин,[всякайрано]-ǯӥ.
 一年経って死んだ、ありとあらゆる怪我で。
Николай-ǯӥ,мии[брач]и-jӥ,Анатолиймии[брата]-jӥ,
ニコライ(今の夫)と、私の弟は、アナトリイだ私の弟は、
Чусамбович,мииамӥм(-бӥ)Чусамбо-њӥ=гоањ(ӥ),[да].
チュサンボービッチ、私の父は チュサンボなのだ、そう。
Николай=тањӥӥПетрович,ноачӥ=тањӥӥ[сорокчетвёто(го)
ニコライはペトロービッチ、彼らは44年に
года]-до[арми]н-чӥэнэ-хэ-чи.[семнадцать]сээ-лэ-эри,
軍隊へ行った。   17 才の時に、
хооњагуǯиэлэ.хооњагуǯиэлэ.Николай=тањӥӥманǯоо
なんてかわいそうに。なんてかわいそう。ニコライは満州の
боа-до-а-њ(ӥ)[победа]осӥо-ха~н.миинэу-jи=тэњииАнатолий
地にいて戦勝となった。私の弟はアナトーリイ
Чусамбович=тањӥӥ[китай]боа-до-а-њ(ӥ)[победа]осӥ-хан.
チュサンボービッチは中国の地で戦勝となった。
эсиНиколай-до=даа[медаль]эгǯи=гоањ(ӥ),хаӥ=даахэм.
ニコライにも勲章が たくさんあるのだ、何でも皆。
миинэу-ду-jихаӥ=даахэм[меда(ль)...].миинэу-jи,
私の弟にも何でも全ての勲章が・・・私の弟は、
[калека]осӥ-хан-ǯӥ[сороквосимьгода]-ла-jӥбуи-ки-њ(и).
不具者となってから48年に死んだ。
дэхиǯакпонсээ-лэ-jибуи-кин,[молодой]-ла-jӥ.ча-ла
48年に死んだ、若い身で。その時に
[жила]-ха-њӥбэгǯи-њ(и)=дээача-асӥ,бэгǯи-њихэм[калека]
暮らした、足もだめだ、足は両方、不自由な体に
осӥ-хан.[контуженный]хооњаэруун.Николай=даахаӥ-м(ӥ)
なった。傷夷軍人、どんなにつらいことか。ニコライもどうして
энуси-и-њ(и),[война]-д(о)сорӥ-мӥ[мучи]лэ-хэ-њи=гоањ(ӥ),
今病んでいるか、戦争で戦って  苦しい目に遭ったからなのだ。
нуучи-лэ-jихооњагуǯиэлэ.Сӥӥра-чӥэну-хэн,мии
まだ小さい時に、なんてかわいそうなことか。シラ村へ引き上げた、私の
амӥм(-бӥ)Сӥӥра-до[колхоз]осӥ-хан,улээнǯоо-го-jӥ
父は、シラにコルホーズができた、良い家を
аӈго-хан,дааӥǯоо-го-jӥаӈго-хан,[большойбольшой].
作った、大きい家を作った、大きい、大きい。
[да,]тотапӥ=тањӥӥмама-каа-вабаа-ха-њӥ,гоӥэњиэ-кээм-бэ,
そう、そうしてから後妻をもらった、別の母さんを、
[хороший]эњиэ-кээм-бэ.лоча-доосӥњӥ[мачеха]-њ(ӥ)=гоањ(ӥ),
いい女の人を。ロシア語なら継母なのだ、
[да?]наањӥ-доосӥњӥэњиэ-кээн,гээ,[(в)сёравно]
そうだね?ナーナイ語なら継母(小さな母さん)さあ、ともかくも
эњиэ.Анатолийэњиэ-гу...гэрбу-и,ноањӥ,тэимама
母さんだ。弟のアナトーリイは母さんのことを呼ぶのに、彼はその母さんを
баа-рӥӥ-до-jӥнуучиби-чин,[годамож(ет)бы(ть)десять],
もらった時には小さかったので、年はたぶん十才、
[самый]дааӥǯоанби-чин[мож(етбыть)].ноањӥ[мама
せいぜい十才だった、たぶん。彼はママ、
мама]хээси-иби-чин.туитачӥ-ха-њӥ.мии=тэњиидада,
ママと呼ぶのだった。そう言い慣れた。私は叔母さん、
дадахээси-эм(-би).миидааӥ.туидада.ноањӥбумбиэ
叔母さんと呼ぶ。私は大きい。それで叔母さんと。彼女は私達を
эчиэсиӈгурэ-кээчи-эулээнулээнбодо-ха-њӥ.буэ=дээмэнэ
いじめたりしなかった、良く良く思ってくれた。私たちも自分の
эњим-бэр(и)=мээ=дээ.гуǯиэлэ~тэи,эњиэ-кээн
母親のように思った。かわいそうにその、母さんも
буи-кин=гоањ(ӥ).[это,онана(в)ерноше(стьде)сятвосьмом]
死んだのだ。それは、彼女がたぶん68
аӥӈањӥ-абуи-кинби-ǯээ,тэиэњиэ-кээн.амаа=тањӥӥ
才の時に死んだのだったろう、その母さん。父は
гоӥда-ӥ.буи-кин-ǯи...эиНаӥхӥн(-чӥ)буэǯиǯу-учиэ-пу~
長生きした。死んでから、このナイヒンへ私たちが戻って来たら
буи-кин,амаа.амаа[паралич]а-л(а)=даа,буи-кин=гоањ(ӥ).
死んだ、父は。父は麻痺で不随になって、死んだのだ。
тэиэњиэ-кээнпиктэ-њи=дээхусэ=дээби-чин,эктэ=дээ
その母さんの子供も男の子もいたし、女の子も
би-чин.хаӥ~мииТоника(Антонина)эктэпиктэ-jи=хэи,мии
いた。私はトーニカが女の私の子供、私の
ӥлаанпиктэ-jихэм[менингит]э-ǯи=мэњэбуи-кин.
三人の息子は脳膜炎ばかりで死んだ。
эǯилэ-гу-пи=э,Николай-ǯӥ,[пятьдесятпервыйгода]-домии
結婚して、ニコライと、51年に私は
эǯилэ-хэм(-би).[война]хоǯӥ-очӥа-њӥмимбиэӈаасо-ха-њӥ,
結婚した。戦争が終わったら私を連れて来た、
ии.Тоника-ӈго-jӥ=тањӥӥ[третий]пиктэ-jи.гочӥнǯакпон
そう。トーニカは三番目の子供だ。38
сээ-лэ-jибаа-хам(-бӥ),Тоника-ва.[война]би-и-ду-jи
才の時に産んだ、トーニカを。戦争の時に私は
молодаямолодая]би-и=гоањ(ӥ),[только]эǯи-гу-jи[замуж]
若く若くあったのだ、まだ結婚したばかりで
энэ-хэнэǯи-jи[война]-чӥэнэ-хэн.[годжилиилидва
夫は戦争へ行った。一年暮らしたか、
годажилина(в)ерно].хооњагуǯиэлэ,миихооња
暮らした、たぶん。なんて哀れな、私はどんなに
соӈго-хан.миибоӈгоэǯи-jи=дээхооња[охотник]аби-чин.
泣いたことか。私の最初の夫もどんなにかいい猟師だった、
миибэjэ-гу-jибаа-хан-ǯӥ-jӥурэ-хэн-ǯи-jихаалӥ=дааэчиэ
私は   成人してから育ってからいつだって
[ведный]би-и.хаалӥ=даадаэчиэсинэǯи-миби-и.мии
貧しかったことはない。いつだって困ったことはない。私は
туитачӥ-хан.Николай-ǯӥэǯилэ-хэн-ǯи-jи=дээхаӥсинэǯи-ури.
そう慣れた。ニコライと結婚してからもどうして困るだろうか。
[онзаработаеткушай,заработайодевай].тэи,тэи,
 彼が働いて食べる、稼いで着る。あの、あの、
[стенка]тэихаӥ,[шифоньер]-бадааӥтэи[кладовка]
家具セット、あの、何だ、洋服ダンスを大きな、あの物置きの
доо-ла-њӥби-и,ноањӥосӥсӥ-ӥча-аииву-гу-ури.гало-ӥ,
中にあるんだ、ニコライが嫌がる、あれを運び入れることは。嫌がる、
эчи,ун-дии.эсиноањӥболохаӥ-чӥ,Ленинград-а-чӥ
じゃまくさい、と言う。彼が秋に、 レニングラードへ
энэ-и-ǯи-эњ(и)гэсэмии,нуучигурум(-бэ)гэлэ-хэн.тээ
行ったらすぐに私は、若い人たちに入れるように頼む。ほれ
тэи[стенка]нээку-ǯээм(-бӥ).хаǯонэгǯи-њ(и)=го(ањӥ)
あのタンスを置くのだ。服がたくさんなんだ、
хаӥ-до=даанээ-гу-и,[шифоньермаленький]чӥкӥ-асӥ.
どこに置くか、今のタンスは小さい、入らない。
[пальто]хаӥ-до=даахэм,хаӥ-до=даанээ-гу-и=дээбаа-васӥ,
外套だの何だの全て、どこにも入れる場所が見つからない、
нээ-гу-и=дээбаа-васӥ.ииву-гу-пихаӥииву-гилэ-и-њи.мии
置く場所が 見つからない。入れようとしてもなんで入るだろう。私は
[война]би-и-дуэмнаонǯокаан=ма(т)[(в)сегдаохота]ла-хан.
戦争のまるで男の子のようにいつも狩りした。
хаӥ-ва=даахэмваа-хам-бӥ.хаӥ-ва=даахэмваа-хам-бӥ.
何でも獲った。何でも 皆獲った。
[соболь]-а=дааваа-хан,хаӥ-ва=даа[норка]=дааваа-хан,
クロテンも獲った、何でもミンクも獲った、
хаӥ-ва=даахэмваа-хан.гиу-вэ=дээваа-хан,тоо-ва=даа
何でも獲った。ノロジカも獲った、ヘラジカも
ваа-хан,бочаам-ба=даа,[толькомедведь]-ва,хаӥ-ва=рагдаа,
獲った、オオジカも、ただクマは、あと(イノシシ)だけは
ча-ваэǯимӥочала-ра,дааӥгурунун-дииби-чин.
それは撃ってはいけない、上の人々がそう言っていたものだ。
[(с)т[а]рашно]бэjун=гоањ(ӥ),[кабан]-ба=даа,[кабан,это],
恐ろしい獣なのだ、イノシシも
ичэ...э~гǯи[табун]-ба-њӥичэ-иби-чэ-jэ.тотараамоо,
たくさんの群れを見ることがあった。そしたら木に、
моо,дааӥмоо,дааӥнаӥалоосӥ-хан,ача-го-ла-jӥ,
木、大きな木(に隠れろ)、上の人はそう教えた、出会った時には、
тамачаабэjум(-бэ)ӥсӥ-ӥосӥ(-њӥ)кавкаа~ӥлӥ-рааби-хээри,
そんな獣が来たなら じっとして立っていろ、と、
эǯимӥочала-ра=м,мӥочала-пӥ[мимо]энэ-хэ(н)ос(њӥ)
撃つな、と、もし撃ってはずれてしまったなら、
ноањ(ӥ)наӥ-ваваа-нда-ӥбэjун=гоањ(ӥ).[медведь]-ǯи
奴は人を殺しに来る獣なのだ。クマと、
[кабан]-ǯӥ=даа.таваӈкӥби-иаjа-њӥ=гоањӥ.гоӥбэjун
イノシシも。それ以外はいいのだ。他の獣は
хооњ(ӥ)=даата-асӥнаӥ-а.хооња[охота]ла-м(ӥ)[белка]=даа
どうも    しない、人を。どんなにか狩りをして、リスも
эгǯиваа-ха~н,буээммодан[осеньоктябрь]бӥа-ла-њӥ
たくさん獲った、私たちはある時、秋の十月の月の
[двадцатая]хорӥн-долаэнэ-хэн-ǯи-jи,[январь]-дола~ǯоок-чӥ
20日、20日に出かけてから、一月にやっと家へ
ǯиǯу-ури,[январь]-дола=даа.[только]ǯоок(-чӥ)ǯиǯу-ури.
戻る、一月になってやっと、だ。やっと家へ戻る。
[уже]хаӥ,наӥ[закрыла]-го-ӥ-њ(ӥ),[охота]ла-ор(ӥ)ǯака.
もう人が猟期を閉じる、 猟期を。
ǯиǯу-хэн,[помаленький]би-чин,[опять]ǯобо-ор(ӥ)гоӥ-ва
戻って来た、ほんの少しあって、また働く、別の獣を
[охота]ла-орӥ.[неохота]ла-орӥхаӥ-ва=даахэм[колхоз]а
狩る。狩りをしない時には何でも全てコルホーズの
ǯобо-ор(ӥ)эгǯи-њ(и)=тэњии,[дрова]-ва=даа[пили]лэ-ури.
仕事がたくさんある、薪も切るのだし、
хаӥ-ва=даахэмта-орӥ,хаӥ-до=даахэмǯобо-орӥ,
何でもいろいろやることがある、どこにでもいろいろ仕事がある、
[колхоз]а-до-jӥ,хаӥ,[подва(л)]-до[картошка](-ва)наа
コルホーズには、地下室にジャガイモを地下に
[храни]ла-го-ӥ-њӥ.[и]ча-ва=дааǯобо-орӥ,тарӥ-го-го-ӥ,
貯蔵しておく。そいつもやるべき、種をまくのも、
[(в)сякай]хаӥ-ва-њ(ӥ)=даахэм,капуста].тултулмии
あらゆる(野菜を)何でも皆、キャベツも。いつもいつも私は
ǯобо-м(ӥ)балǯӥ-хан,ǯобон-ǯӥхаал(ӥ)=дааӈээлэ-эсим-би.
働いて暮らした、仕事をいつだって恐れない。
эси=рэгдэээнуси-и.[тайга]пулси-м(и)хаалӥ=дааэчиэ
今だけだ病気してるのは。森を歩き回っていつだって
[заблуди]ӥла-ӥ-њӥ.эмнаонǯокаан=матпулси-иби-чэ-jи.мии
迷ったこともない。まるで少年のように歩き回っていたものだ。私の
њоочам-бӥ=дааǯуэрби-чин.э~,[карабин]=дааби-чин,
銃も二つあった。カルビン銃もあった、
потомтретье]њоочам(-ба)[малопуляка]=даага-ча-jӥ.
それから三つ目の銃、マラプールカも買った。
наонǯокаан=ма(т)балǯӥ-ка-jӥмии,тултул[охота]ла-ӥ.
少年のように暮らした、私は、いつもいつも狩りをして。
Сӥӥра-дотэӈмииэктэ,мии=рэгдээ[охота]-чӥпулси-кэ-jи.
シラ村ではただ私が、女では私だけが狩りに 歩き回った。
ǯоог-до=тањӥӥ,уи,Таняпулси-хэн.ноањӥпиктэ-кубаӥ,
わが家には誰だっけ、ターニャも歩き回った。彼女は子供がいたからただ
эи,хаӥ-ва=даамэнээ,мэнээбоа-jӥ=даапиктэ-ку-њи
その、何でも自分の、自分の範囲だけを(狩りした)、子供がいるから
[тайга]-чӥэнэ-м(и)гоӥда-м(ӥ)би-м(и)ача-асӥ-њ(ӥ)=гоањ(ӥ).
森へ行って長いこといるわけにいかないのだ。
ноањ(ӥ)=дааулээн[охота]ла-м(ӥ)ваа-рӥӥби-чин.[белку,
彼女も良く狩りをして獲っていたものだ。リスに、
колонок]аваа-ор(ӥ)=го(а)њӥ=даа,,эимэнэ[деревня]-ду.тадо
シベリアイタチを獲るのだ、その自分の村のあたりで。そこは
[соболь]абаатадоваа-орӥ.[колонок]а-сал[зайка]-сал,
クロテンはいない、そこで狩りすると。イタチや、ウサギ、
хаӥ-сал[норка]-сал[попа]ала-ӥ-њ(ӥ)=гоањ(ӥ),тамачаа-ва.мии
ミンクが罠にかかるのだ、そんな獣を。私は
хаӥ-ǯӥ=дааэчиэӈээлэ-э,туи.[[а]район]-до=даахооња
何をも恐れなかった、そうして。地区大会でもどんなに
[чемпионка]би-чим-би=э.уи-ǯи=дэээчиэдэрэǯи-jэ,
チャンピオンだったことか。誰にも遅れを取らなかった、
хаал(ӥ)=даанаӥ-ǯӥэчиэдэрэǯи-jэ.наонǯокаан=ма(т),мии
いつだって誰にも遅れを取らなかった。少年のように、私は
энэ-гу-и-jэ[лыжи]-jэхэмнаӥ,[порядка],наӥдэӈдэӈ
行く、スキーでも全て、人々が一列に並んで人はしっかりと
та-го-ӥби-чин.Тройцкойэнэ-хэнБиробиджа(н)-мола~мии
スキーを締め準備していた。トロイツコエから行った、ベロビジャンへ、私は
[лыжи]-вэтуту-кэ-jи.Биробиджан-чӥтуэ[самолёта]-ǯӥ
スキーの競争をしに行った。ベロビジャンへ飛行機で
[лета]ла-орӥ-њ(ӥ)=гоањ(ӥ).чадомииэнуси-эсиби-чин,
飛ぶのだ。その頃は私は病気なんかしてなかった、
ǯӥлӥ=даааjахао(сӥ)энэ-и=дээаjа.хусэ-њӥӥ-ǯӥ=дааэчиэ
頭も痛くない、どこへ行っても 大丈夫。男の人にも
дэрэǯи-jэ,эктэ-њии-ǯи=дэээчиэдэрэǯи-jэ.[трикилометр]
遅れなかった、女の人にも遅れなかった。3キロを
тэӈǯоанǯакпон[минут,пятнадцатьминут],туту-и
たった18      分、15分で走る
би-чэ-jи.[пятькилометр]-бэ,[восемькилометр]-бэ=дээ,
ものだった。キロを、キロも、
[восемькилометр]-бэ[толькодвадцатьтриминутили
キロをたった 23だか、
двадцатьдваминут]туту-иби-чэ-jи.хаалӥ=даадэрэǯи-эси,
22分で走るのだった。いつだって遅れない、
хусэ-њии(-ǯи)=дээдэрэǯи-эси.њоочала-м(ӥ)мэлǯэ-ми
男の人にだって遅れを取らない。銃を撃つのを競って、
[малопуляка]-ǯӥ,[пятнадцатькопейка]-ванаӥ
マラプールカ銃で、15コペイカ玉を人が
нээ-рии-њ(и)=гоањ(ӥ).[двадцатьпятькилометр,аметр].
置くのだ、25 キロ、じゃなかった、メートル。
[пятнопятно]њоочала-ӥ.[а]чукинхусэ-њиињоочала-асӥ,
 穴を開けて撃つ。だが下手くそな男は撃てない、
ча-а.миихусэгурун,мии[племяник]би-чин.мии
それを。 私の 男の 仲間の、私の甥がいた。私の
эикэ-jи,пиктэ-њичуудааӥэикэ-jипиктэ-њи.ноањ(ӥ)
姉の、息子、 一番上の姉の子供。彼は
наамбо-ӥби-чин,тэи[пятнадцатькопейка],[пятно]
当たるのだった、その15コペイカ玉、穴を開ける、
њоочаала-м(ӥ).Тройцкое-чӥмэлǯэ-ндэ-су-ури-њ(и)=гоањ(ӥ)чадо,
銃で撃って。トロイツコエへ競争しに行ったものだ、その頃、
[[а]район]-до.хаӥ-ǯӥ=даахэмхэм[победа]би-чэ-jи.мии
地区で。何をやっても全て全て勝ったものだった。私は
хаалӥ=дааэчиэӈээлэ-и,[[а]район]-чӥэнэ-и=дээ
いつだって恐れなかった、地区大会へ行っても、
дэрэǯи-ур(и)наӥ=даахаалӥ=дааэчиэӈээлэ-эси.энэ-ми,
勝ち残る、人もいつだって恐れなかった。行って、
ун-дии-њ(и)=го(ањӥ)ӥсӥ-ханбоа-jӥ,"а~ӈ,"ун-дии,тэи
人が言うのだ、(試合が終わって)着いた所で、「ああら、」と言う、そこの
[[э]русский]боа-ва,тэилочамама-њӥӥсӥачӥ-орӥ.
ロシア人の土地に(行って)そのロシア人のおばさんの所に泊まっていた。
"эисиксэ[[а]радио]-л(а)[семьчас]а[переда]ла-ǯараа~,"ун-дии,
「今晩ラジオで時に放送するでしょう、」と言う、
"симбиэ[победа]осӥ-хам-ба-сӥ."ноачӥ=даа
「あなたのことを、勝ったことを。」彼女も
саа-рӥӥ-њ(ӥ)=го(ањӥ).миихаалӥ=дааэчиэгаса-а.
もう知っているのだ。私はいつだって嘆いたこともない。
хаалӥ=даадагаса-адаасӥм-бӥ.миихаӥс(ӥ)хэтэ-ǯээм-би.
いつだって嘆いたりなんかしない。私は再び勝つだろう、と。
[всёравнояпобедили.]ǯаарӥ-до=дааэктэ,эмэктэ
ともあれ結局私は勝った。ジャリにも女の人で、ある女は
мии=мээби-иэк(тэ),туту-имасӥби-чин.ноањ(ӥ)=даа
私のような女だ、走るのが強かった。彼女も
масӥ,чукингурум-бэхэм[победили].
強い、下手な人たちをみんな負かした。
минǯиноањӥхаалӥ=даагалӥ-асӥ.мии~масӥтуту-и,
私に彼女はいつだって勝てなかった。私は強く走る、
"ту~ргэнтуту-и.Долӥн[сопка]-њ(ӥ)=даатуту-кэ-пу,ǯаарӥ
速く走る。ドリンの丘も私たちは走った、ジャーリの
багӥа-ва-њ(ӥ)=дааАмурбагӥа-ла-њӥча-а=даатуту-кэ-пу.
向こう岸も、アムールの向こう岸もそこも走った。
хаӥ-до,таабагӥаби-эс(и)=каа=ноо,хаӥ=тањӥ(ӥ)=атэи,
ほうれあの向こう岸じゃないか、何だっけあの、
Биробиджан,[помаленькийсопка]туту-ури,тадо=даа,
ベロビジャン、小さな丘を走る、あそこも
[(с)т[а]рашно],хаӥ-до=даахэмби-чин.[война]
ちょっとおっかないけれどどこへもみな行った。戦争が
би-и-ду(-э-њи)мииха~ӥ-ва=дааǯобо-хан,ǯоог-доосӥ-го-хан
あった時には私は何でもして働いた、家に落ち着いた
осӥњӥ,[[э]рыпкопа(райпо;районныйкооперативной
なら、
объединение)]-до=даахооњагоӥда-м(ӥ)[пекарный](-ду),хамачаа
地区共同組合でもどんなにか長いこと、パン工場で、どんな
опа=дааэчиэаолӥ-го-ра.[очень]улээн[хлеб[а]всякай
小麦粉も足りないことなんてなかった。とても良いパン、あらゆる
булочка]хаӥ=даахэмаӈго-ка-jӥ.[хлебапек]и-м(и)=даа
菓子パン、何でも作った。パンを焼くのも
отолӥ-ӥ,[булочка]аӈго-м(ӥ)=дааотолӥ-ӥ,хэмотолӥ-ӥ.
できるし、菓子パン作るのもできるし、全部できるよ。
[огородасади]ла-м(ӥ)=дааотолӥ-ӥ.[война]би-и-ду(-э-њи)
畑に植えるのもできる。戦争だった時は
хооњабуээктэгурун[бригадир]-лӥ=даа[звено]-лӥ=даа
どんなに私たち女の者たちも班長に従って班で、
хаӥ=даахэм,мэнэмэнэ[участка]-jӥǯобо-орӥ.[война]
何でもみな、めいめいの担当をこなすのだ。戦争の
би-и-ду(-э-њи)буэнуучибуэӥхон-до-понуучи-њииǯоан
時には私たち小さい者も私たちの村では小さい者も
сээ-кээн-ǯиэǯиǯобо-хан,арчокаан=даада.дааӥ-њӥӥ-ǯӥгэсэ
才から働いた、娘も、だ。大きい人たちと一緒に
гэсэ.эчиэ=дээбаасӥӥ-ра.эсиби-игурун,
一緒に、なまけたりしなかった。今の人たちは
[восемнадца(ть)пятнадца(ть)]ӥсӥ-хан=дааǯобо-адаасӥ=а.
18才、15才になってもちっとも働かない。
[война]би-и-ду(-э-њи)хаалӥ=дааэчиэбаасӥӥ-а,наӥ.туи
戦争だった時はいつもなまけたりしなかった、人は。そうして
балǯӥ-хан,туибалǯӥ-хан,буэ.миичуу~дааӥэикэ-jи
暮らした、そうして暮らした、私たちは。 私の一番上の姉の
пиктэ-њиэмукээ-кээнби-чин=гоањ(ӥ).хусээмун,эктэ
子供は一人(ずつ?)だけだったのだ。男の子が一人、女の子が
эмун.ааӈ-њӥуjун.ноањӥгоро-лаби-и,[дальше]
一人。兄は生きている。彼は遠くにいる、
Комсомольск-а-до.нуэ-њ(и)=тэњиитэи,мии,нэу-њ(и)=тэњии,
コムソモリスクの向こうに。妹はその、私の姪は、
ноањӥгэрбу-њиДуусиэ,ааӈ-њӥгэрбу-њиСергей,тэимии
彼女の名前はドゥーシウ、兄の名前はセルゲイ、その私の
чуу~дааӥэикэ-jипиктэ-њи.ноањӥ,тэи,Дуусиэ,тэи,
一番上の姉の子供。彼女は、その、ドゥーシウ、その、
нэу-ǯимэ=тэњиитаатэихаӥ-до,ноањӥби-чин,эи=тэњии
妹の方はほうれあのどこだっけ、彼女はいた、あら
сактӥӥ-њӥ,Тройцкоетаjа-њӥхаӥ-го-а-њӥ=а~,Лидэгэ.ноањӥ
やだわ、トロイツコエの向こうの、何といったっけ、リダガ。彼女は
[пошивочныйши]лэ-м(и)улпи-хэ-њи,[к[а]рои]ла-ӥ.буэ,
縫製の、縫い物縫っていた、裁断もする。私たちの、
эњи-пубаа-ха-њӥпиктэ,хусэ~эктэ,ӈаала-похэмпаксӥ.
母が産んだ子供は、男も、女も手先が器用だ。
лочахаǯом-ба-њӥ=дааотолӥ-ӥ,ӥлга=дааотолӥ-ӥ,
ロシアの道具の使い方もわかる、模様もできる、
хамачаа=даахэмотолӥ-ӥ.туибуэбалǯӥ-хан.ноањ(ӥ)
何だってみんなできる。そのように私たちは生まれついた。彼女は
буи-кин,миитотарааэси,эсихамасӥ,ǯуэаӥӈањӥ-а
死んだ、私がそれから今、今、後、二 年
хамасӥмаӈгамииэнуси-рээ[сердце]-ǯи[давле(ние)]
ひどく私が病んでから、心臓を、血圧が上がって
энуси-и-ду-jэ,[два[а]разаопераци]ла-ха-чӥ.[[а]второй
病気になったんだが、(彼女は) 二回手術をした。二回目の
операция]-добуи-ки-њи.эчиэмутэ-э[сила]-њӥӥсӥ-асӥ.
手術の時に死んだ。できなかった、力が足りない。
хаӥ-ӈго-го-ар(ӥ)[операци]ла-го-ха-чӥ,ǯуэмодан,боӈго-до
何のために手術したんだか、二 回も、最初に
[операци]ла-ханулээносӥо-го-ха-њӥби-чин.ноам-ба-њӥ
手術した時は良く   なったのだった。彼女を
паа-њӥэнуси-и=jэ~=м[операци]ла-го-ха-чӥ,энуси-хэн=гоањӥ,
肝臓が病気だといって彼らは手術した、病気だったのだ、
паа-њӥ.[камешкатри]ачо-ха-чӥ[илидва]ачо-ха-чӥ[или
肝臓が。石を三つ取った、もしくは二つ取った、それだか
повери]ла-го-ха-чӥ,[двакамешкаостало]-ха-њӥ~ча-ва
調べたんだったか、二つ石がまだ残っていた、それを
ачо-го-орӥ,ча-вата-го-ар(ӥ)Бури-чигааǯо-ха-чӥ.ноањ(ӥ)
取るべきで、それをするためにハバロフスクへ運んだ。彼女は
соӈго-м(ӥ)энэ-хэ-њ(и)эси,[сила]-jӥэсиӥсӥ-асӥ=а=мда.
泣きながら行った、今度は私の力はもう足りないと言って。
ноањ(ӥ)=даамӥаван-ǯӥ=дааэнуси-иби-чинтултул,[очень]
彼女も心臓でも病気だった、いつもいつも、とても
паксӥӥэктэби-чин.гогда-лаа-њ(ӥ)=даамињиэчиэби-и,мии
器用なだった。背の高さも私ぐらいだ、私は
[карточка]ичэ-вээн-дэм(-би)ноам(-ба)симбиэ,хооња
写真を見せてやろう、彼女をおまえに、なんとも
гуǯиэлэ,ичэ-п(и)гуǯиэси-ǯээ-чи.[онаоченьк[а]расивый].
可愛い、見たら おまえもそう思うよ、彼女はとてもきれいだ。
мэнэмама-jӥ=маа~би-ибалǯӥ-ха-њӥ.ноањ(ӥ)тоӥӈга~
自分の母親のようによく似て生まれた。彼女は五人の
пиктэ-гу-jибаа-ха-њӥ.тэиДуусиэхусэ-вэ,эктэ
子供を産んだ。そのドゥーシウは、男の子を、女の
пиктэ-гу-jиэчиэбаа-ра.ноањ(ӥ)мапа-њӥбуи-кин.
子は産まなかった。彼女の夫は死んだ。
[послед(н)ий]пурилтуиби-и-ду-э-њибуи-кин.(С)тёпка=даа
一番下の子供がこんな小さかった時に死んだ。 スチョープカも
туи=эдааӥ,туи=эдааӥби-чин.Алёша-каан=нооуи=нуу
これぐらい、これぐらい大きかった。アリョーシャだったか、誰かは
туитуиби-чин=гоањ(ӥ).эктэпиктэ-гу-jибаа-м(ӥ)эчиэ
こんなもんだったのだ。女の子は産むのに
[успела].туита-раатэипиктэ-jи,эǯи-jибур-бучиэ-њ(и)
間に合わなかった。それからその子供を、夫が亡くなってから
туиǯобо-м(ӥ)тэи[пошивочный]туиǯобо-м(ӥ)туи
そうして働いてその縫製で、そうして働いてそうして
[пошивочный]ǯобо-м(ӥ)пурилхэмурэ-хэннэкуэ-нээхэм
縫製で働いて子供達は育った、小さい者たちは
дааӥна-ханхэмǯобо-ло-хан,[конешно]улээн
大きくなった、働き始めた、もちろん(暮らしも)良く
осӥ-го-ӥ=гоањ(ӥ)=даа[мучи]лэ-хэн=дээхаӥ=даахэмхаǯо-ӈго-ар(ӥ)
なるのだ、苦しんで来たけれど、何でもいろんな物も
га-чӥ(н)эи=мээби-иǯоо-го-ар(ӥ)баа-хан,хаӥ=даахэм
買ったし、こんなふうな家も見つけた、何でも
га-чӥн,эсимамабуи-кин,ноачӥмэнуркээнби-имээн
買った、ばあさんは死んだ、彼らは独立している、それぞれの
мээнǯоог-до(-арӥ).Чимур,пиктэанаа,Ваникапиктэ-њи
家に。チムールは子供いない、ワーニカは子供
уэр,Валякапиктэанаа,мамаанаа,уи,(С)тёпка
二人、ワーリャは子供いない、妻もいない、誰だっけ、スチョープカは
пиктэ-њиǯуэр,мама-ко,Лидэгэ-дубалǯӥ-ӥ.Чимур-ǯи,
子供二人、妻もいる、リダガに住んでいる。チムールと、
уи,(С)тёпка-ǯӥЛидэгэ-ду=тулби-и.баjанноачӥ
誰だっけ、スチョープカとリダガにどっちもいる。豊かに彼らは
балǯӥ-ӥ-њӥгуǯиэлэ.улээнэктэби-чи~нноањӥ,ноањӥ
暮らしている、よしよし。良いだった、彼女は、彼女の
ааӈ(-њӥ)=дааулээннаӥ.тэиамӥ-чӥ,Александр-аби-чин
兄さんも良い人だ。その彼らの父、アレクサンドルだった、
гэр(бу-њи).амӥ-чӥ=даа[оченьохотника]би-чин.тэи=дээ
彼の名は。彼らの父もとても良い猟師だった。彼も
туи[охота]ла-мӥ=мањатуи[до(брый)]-ǯӥбалǯӥ(-хан),туи
そうして狩りをしてだけでそうして良く暮らした、そうして
баjан(-ǯӥ)балǯӥ-хан,улээн-ǯи,хаӥ-ǯӥ=даадасинэǯи-эси.
豊かに暮らした、良く、何で不自由することもない。
ǯӥха-ǯӥ=даасинэǯи-эси,туибалǯӥ-хан.баасӥӥосӥњӥ
金でも困らない、そうして暮らした。なまけたらば
синэǯи-ур(и)=го(ањӥ).баасӥӥ-асӥ-њӥ=та(њӥӥ)хаалӥ=даа
困るものだ。なまけなければいつだって
синэǯи-эси.Николайааӈ(-њӥ)=дааСахалӥн(-до)би-чин=гоањ(ӥ).
困ることはない。ニコライ(語り手の夫)の兄もサハリンにいたのだ。
Инокентий[брат]а-њӥ.дааӥ[брат]а-њӥ=тањӥӥ,[война]-до,
イノケンティという兄。大きい兄さんは  戦争で、
Антонби-чингэрбу-њидааӥ[брат]а-њӥ.[война]-до,
アントンだった、その名は、大きい兄さんの。戦争で、
[самыйначаливойна]-доэнэ-хэ~н,буи-кин.наӥваа-хан.
一番最初の戦争に行った、死んだ。人が殺した。
эчиэǯиǯу-э.Инокентийааӈ(-њӥ)=тањӥӥСахалӥн-до,[после
戻らなかった。イノケンティ兄さんはサハリンに、
война]-до[остал]а-го-хан=даа,Тоника=даа,Тоника[наверно
戦後残ったのだが、トーニカ(語り手の娘;アントニーナ)もたぶん
годиктри]би-чин,ноањ(ӥ)ǯиǯу-хэ-њи.тадомама-го-jӥ
 三才だった、彼が戻ってきた。そこで妻を
баа-раа~би-чин.ǯиǯу-и-ду-jимама-њӥдэрэǯи-гу-хэ-њ(и)=тэњии
見つけて暮らした。戻って来る時に前の妻はサハリンに残して来た、
эчиэǯиǯу-эосӥсӥ-мӥ,пиктэ-кээм(-би)ǯуэруӈ-ки-њ(и),
戻らなかった、嫌がって、小さい子供も二人いたと言っていた、
ча-аӈаањӥ-го-ӥча-ха-њӥ=гоањ(ӥ),ноањӥ.ча-а=тањӥӥ,
それを連れ戻しに行きたくなったのだ、彼は。ところがその行こうとする彼を
Николай=тањӥӥбортӥэнэ-эун-дии.эикэ-нээ-њи=дээбортӥ
ニコライは永遠に行ってしまうと言う。姉たちも永遠に
энэ-иун-дии,туи[остал]а-го-хан.тотараэи-дубуэ
行ってしまうと言う、 そうして引き止めた。 それからここに私達の
мама-го-а-њ(ӥ)баа-ха-поИнокентий=дээулээнасӥ-го-jӥ
所の妻を見つけた、イノケンティも良い妻を
баа-ха-њӥби-чи~н,тэибуэ[старый]ǯоо(-по)[квартира]-до
見つけた のだった、あの私らの古い家を、部屋を
ноачӥ[остал]а-го-раа,ǯуэтуӈэмама-њӥǯулэ(си)буи-кин
彼らのために残してやってから、二人の妻は両方とも先に死んだ、
[паралич]ӥ(-ǯӥ)[дед]хамӥ(ла)-њӥбуи-кин.[дед]=тањӥӥ
麻痺で不随になってじいさんは後で死んだ。そのじいさんは
ǯобо-ӥдоо-ла-њӥ[паралич]о-даатадобуи-кин,гуǯиэлэ.
働いてる最中に麻痺になってそこで死んだ、かわいそうに。
улээнэктэби-чин.олгӥам-ба=даауǯи-уриулээнси-и~,
良いだった(妻は)。ブタを育てることも好きだったし、
ǯоо-jӥ=даасасӥннэучэ-и~,туибуи-кин,пиктэанаа
家も 清潔に片づけていたし、そうして死んだ、子供は
би-чин,[дед]мама-њӥ.[дед],Инокентий[дед],
いなかった、じいさんの妻は。じいさんの、イノケンティじいさんの
ǯулиэ-лэ-њи[два]би-чи(н),эǯи-њ(и).[война]-добуи-кин,
前に 二人いた、 彼女の夫は。戦争で死んだ、
эмун,тотап(ӥ)баа-ха-њӥбуи-кин,эиНиколайааӈ-њӥ
一人は、そうしてから見つけたのも死んだ、そのニコライの兄さんの
[дед]-ӈгу-ǯи-э-њи[третий].дааӥна-ха-њӥхаӥпиктэ-гу-jи
夫で三人目だ。年を取っていたのだ、どうして子供が
баа-рӥӥ,[да]?туипиктэанаа-каан.бумбиэулээн
産めようか、そうだろう?そうして子供はいなかった。私たちを良く
бодо-хангуǯиэлэ,Тоняноањӥгэрбу-њи.тэиИнокентий
思ってくれてた、かわいそうに、トーニャが彼女の名だ。そのイノケンティの
мама-њӥТоня.пиктэанаа-њӥхаӥ,буи-кин=дээхаǯо-њ(ӥ)
妻は トーニャ。子供はいない、死んだが、彼女の家財は
хэмнаӥ-до=мањадэрэǯи-гу-и=го(ањӥ).гээ,миича-ва
人にばかり残したのだ。さあ、私はそのことを
мэдэси-хэм(-би)=тэњиисинчитэи[маленький]би-и=нуу[уже]
尋ねるのだが、おまえにこの少しもう話してやるのはこれくらいで
хоǯӥ-хан,[закрывай]!
終わりだ、録音を止めなさい。