レユニオンでの国際シンポジウムが新聞で紹介されました。

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Le Quotidien de la Réunion, mercredi 21/11/12
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『ル・コティディアン・ドゥ・ラ・レユニオン』紙[レユニオンの二大地方新聞のひとつ]
2012年11月21日付社会面(15頁)「高等教育」欄

ユニークなシンポジウム

レユニオンの高等芸術学校と大学は,今日と明日,主として日本の教授陣が主導するシンポジウムを迎える。

 パレスティナ,タイ,レユニオン,マダガスカル,そして日本,これらの間の結びつきとはどのようなものなのであろうか? この連関が存在するとすれば,それは恐らくは文化的であるよりも情緒的な次元においてであろう。「これは横断的な結びつきなのだ」と,レユニオン高等芸術学校(ESAR)のトマ・コセック校長は述べている。人文学部(FLSH)と東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(ILCAA)との共催で,ESARは今日(ル・ポールの校舎)と明日(大学のポレニク講堂),「文化,創造,アイデンティティーと表象:人類学の多元的視点」と題された国際シンポジウムを開催する。
 
歴史との出合い

 日本の教授陣が多数参加しているということが,この「人類学の多元的視点」の証であると思われる。また,就中,人類学を実践するには,地球上のこれこれの地域で研究を行うに応じて数多くのやり方があるだろう。
 トマ・コセックは,地元の教員や研究者と日本の教授陣とのつながりが,「(彼の)着任以前」であったことを説明しつつ,彼の教育機関の「最大の関心事」を統合し得たことを喜んでいる。つまり,「アイデンティティーと創造性の問題」であり,それらはESARの教員であるムニール・アラウィーとオードゥ=エマニュエル・オアローの報告によってである。「マダガスカルにおける文化的なるものへの個的忠誠」でのジャン=フランソワ・アモン(レユニオン大学)の意図は,彼の報告要旨から判断する限り,それ自体感受性を損ないかねないだろう。即ち,文化と宗教儀礼の束縛に囚われたマダガスカル人-如何なる発展にも敵対する村人-には,歴史との,非植民地化の歴史との出合いが欠落している,というものである。ポストコロニアル史についての,悲しいかな,それほどユニークでもない人類学的視点である。

 日本の深澤秀夫の報告は,マダガスカルにおける1981年から1986年までの漫画(tantara an-tsary)の黄金時代について,[日本の]漫画と演劇的・美術的構成面での比較を行うと共に,社会の「マダガスカル化の挫折の背景」に関してのものであり,より的確な社会的・政治的コンテクストに依拠しているように思われる。

ティエリー・ロレ

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