深澤秀夫「マダガスカルにおける呪文」

日本人ならば「誰かを祝福する」と言った際には、「お祝いの言葉を述べる」ことと具体的に考えるのではないでしょうか。あるいは、<祝福>と言う単語そのものが、神が身近ではない現代日本ではあまり日常生活の中で使われないため、 それがどのような意味であるのか、問われた人はとまどってしまうかもしれません。
 マダガスカル語では、「神が人を祝福する」と言う意味で使われるミタヒ(mitahy)と言う少し抽象的な他動詞とは別に、ツドゥラヌ (tsodrano)と言う名詞が良く用いられています。この単語実は、ツゥカ(tsoka)とラヌ(rano)の二語の複合語であり、ツゥカとは「吹くこと」、ラヌとは「水」を意味し、「水を口にふくんで吹くこと」がその原義です。では、なぜこのような意味から、<祝福>と言う意味が生じたのでしょうか。マダガスカルにおいては年長男性が、結婚式や割礼祭などの儀礼において、一族の人たちに、あるいは当事者たちに対し、神や祖先からの良きことを願い授 ける際には、実際に水やラム酒などを口にふくみ、それをその人たちに吹きかけるのです。町ではもう名前だけのツドゥラヌであり、年長者がお祝いの言葉を述 べたり、あるいは神や祖先に加護を言葉で求めたりするだけですが、農村などに行きますと、現在でもこのような具体的な行為によって、祝福を授ける場面と遭 遇することがあります。すなわち、マダガスカルにおいて「力をもつコトバ」としての<呪文>の原型は、コトバよりも前に、このような年長男性の口から吐き 出された物体だったのかもしれません。とは言っても、衛生観念の異常に研ぎ澄まされた日本に生まれ育った人間には、それがありがたい祝福の行為なのだと頭では理解していても、歯もほとんどなくなり、噛みタバコやら歯を磨かないやらで残ったわずかの歯もまっ黄色な老人が、唾もない交ぜに吹き出すこれらの液体について、とりわけ自分自身に向けられた際には、「なんか汚いなあ」との感情をどうしてもぬぐい去ることができません。
 口から何かが吐き出されることに対して、特別な意味づけを与えることは、現代マダガスカル人の日常生活の中においても見出されます。マダガスカルの人 たちと一緒に生活したり、その日常生活の場面に繰り返し居合わせたりすると、「マダガスカルの人たちって、こんな習慣を持っているのだ」と、そっと気づかされる事柄があります。そのひとつが、誰かがくしゃみ(evina)をした時、その周りに居た人がすかさず「生きてる!(Velona!)」と合いの手を 入れることです。そうするとくしゃみをした本人は、「ありがとう、みんなだよ(Misaotra, isika rehetra!)」と応えます。町では次第に廃れてきた習慣ですが、それでもバスや乗り合いタクシーの中で、このような情景に時たま出会うことがあります。家族や親しい人たちの集まりの場では、町といえども、この習慣は健在です。
 私自身、1981年にはじめてマダガスカルに着き、留学と調査を始めた当時から、この習慣と出会って気になり、ことあるごとに、「どうして、くしゃみ をすると<生きて>と言うのですか?」と訊ねてまわりましたが、ほとんどの人はちょっと困った顔になり、「だって、習慣(fomba)だから」と言うこと以上の説明をしてくれませんでした。ですから、ここから先は、私の解釈になりますが、どうもマダガスカルの人たち、とりわけ昔のマダガスカルの人たちは、 くしゃみをするとその瞬間に身体の中から口を通して大事なものが出てゆくと考えていたふしがあります。マダガスカル語で<生命>をアイナ(aina)と言 いますが、このアイナを語根とした自動詞ミアイナ(miaina)は、「息をする」の意味であり、そこから「生きている」の意味ともなります。ですから、「もはや息をしていない」(tsy miaina intsony)は、日本語と同じく、「死んでしまった」の意味になります。すなわち、<生命>=<息>であり、また<生きる>=<息をする>わけです。 人間の生命の源となるものが、口を通して出入りしているわけです。くしゃみをするとこの生命の源の一部が体内から失われるか、あるいはファナヒ (fanahy)と呼ばれる<魂>の一部が抜け落ちてしまう危険な状態に陥ると昔のマダガスカルの人たちは考え、「生きて!」との合いの手の入れることにしたのではないでしょうか。もしくしゃみがこのような口から出てゆく<呪文>ならば、それに対する合いの手のコトバ「生きて!」は、<呪文返し>の<呪文>かもしれません。
 マダガスカルの文化に<言霊>の考えがあったかどうかはこれから検討されるべき課題ですが、コトバそのものに力を認める習慣や伝承は、いろいろとあります。
 日本の昔話にもしばしば見られるパターンですが、異族ないし異界の女性が人間の男性と結婚し、その際にあるコトバを言わないことを約束させるものの、結局男性がその誓いを破ってしまい、女性は去ってゆくと言う少しもの悲しい伝承があります。
 首都アンタナナリヴ周辺に住むメリナの人びとの間で伝えられている有名な昔話は、こんなものです。ある日、若者が、川の畔で岩の上に座っていた髪の長い美しい女性と出会い、一目で恋におちてしまいます。それからその場所で二人は逢いますが、不思議なことに若者が声をかけると決まってその女性は、見えなくなってしまいます。ある朝、若者は夢の中でその女性と出会い、やっと女性は、自分がラヌル(Ranoro)と言う名前であること、河の底にある洞窟に住 む水の一族であること、そして父は<塩の王>(Andriantsira)と言う名前であることを告げ、自分もまた男性が好きであることを告白します。二人は結婚し、男性の村に住むことになりますが、その前に女性は「<塩>と言うコトバを決して言わないで!」と男性に約束させます。月日が流れ、二人の間にはたくさんの子供が生まれ、幸せな暮らしが続きます。ところがそんなある日、野良仕事に出る前に男性は、ラヌルに対し、夕方乳を搾るので牝牛と子牛とを分けておくよう言い置いてゆきます。ラヌルは子牛を棒に結びつけて家事をしていましたが、その間に子牛は紐をほどいて、母牛のもとに行き、その乳をすっかり飲んでしまいます。野良から帰った男性はこの様子を見て怒りにかられ、思わず「この役立たず!お前は、やっぱり<塩の娘>だ!」と言ってしまいます。この言葉を聞くやいなやラヌルは、川へと走ってゆき、その中に身を没してしまいます。男性は水辺でラヌルを呼び続けますが、ラヌルが二度と地上に姿を見せることはありませんでした。その後、地上に残された男性と子供たちに対し夢の中で、ラヌルは次のように言います;「もしあなたたちが、わたしを忘れないのならば、わたしはあなたたちをお守りしましょう。そのために、わたしが身を没した川端に石の家を作ってください」(Vahiny,No 5,pp.27-32)。
 現在の首都アンタナナリヴから北西に8km行った、空港にもほど近い所にアンダラァヌル(Andranoro)、すなわち<ラヌルの場所>と言う名前を持つ川沿いの村があり、ここがラヌルが身を没した場所とされています。そして、ラヌルが言い残した言葉通り、この村にはラヌルを祭祀った社が岩の上にあり、さまざまな悩みや病気や不幸を抱えた人びとが今でもそこに願をかけにやってきます。この昔話の中では、<塩>が力を持つコトバとして<呪文>の役割を果たしているだけではなく、夢の中で与えられた約束のコトバを地上の人間が果たすと、異界の女性ラヌルが、地上の人間に良きことを授けてくれると言う、コトバをめぐる力の往還の構図が示されています。
 マダガスカル文化の中で、コトバが力を持っていることの例としてよく引き合いに出されるのが、カバーリ(kabary)です。しばしば<演説>と訳されますが、これではカバーリの特徴がわかりません。1897年にフランスによって滅ぼされるまで首都アンタナナリヴを中心に存在し、19世紀にはマダガスカル全島の三分の二を支配下においたイメリナ王国では、新しい法律や布告が行われる際には、統治者自身が民衆の前に姿を現し、それらの法律や布告を声に出して伝えており、これがカバーリと呼ばれました。イメリナ王国では1820年代にアルファベットによる表記法が確定されると共に、キリスト教宣教団が持ち込んだ印刷機による書籍や文書の出版・配布が行われるようになりますが、それでもこのカバーリは成文法の配布や掲示と並行して行われました。ここでは、統治者の口から出たコトバが特別の力を持つと言うよりは、多くの人の耳に届いたコトバは、共同に何かを行わなければならない力を持つと言うことでしょう。
 またカバーリは、権力者だけが行うわけではありません。庶民も、結婚式・割礼祭・葬式・改葬などの際には、カバーリを行いますし、ヒラ・ガシ (hira gasy)と呼ばれる楽団兼芸能団にはこのカバーリを専門とする座長がいて、聴衆を楽しませます。この庶民が行うカバーリでは、必ず述べられなければならない定型化された内容とその場の当意即妙、この相反する二つの要素が、巧みに織り交ぜられなければいけません。定型化された内容とは、カバーリを行う人自 身が、いかに自分がその役割に相応しくない物を知らず未熟な年端もゆかない人間であり、その自分が他の人びとをさしおいてこのような役割を担うことに対す る<お詫び>、あるいはその場に集まってくれたり協力してくれた人たちに対する<お礼>などであり、このカバーリでは、それらの事柄を諺や慣用句あるいは 婉曲語法を駆使しながら、様々な言い回しで間接的に表現することが求められます。とりわけ、結婚の申し込み、ないしヴディウンドゥーリ (vodiondry)と呼ばれる日本の結納にあたる女性方の家族に対する金銭の贈与の際には、このカバーリを男性方の家族が滞り無くかつ巧みに行うこと が強く求められます。そのため、男性方の家族では、親戚の中でカバーリが上手だとの評判のある人に頼んだり、あるいはカバーリを職業とする人やカバーリのうまい赤の他人を雇ったりすることもあります。なぜなら、女性方の家族が、この時男性方が行ったカバーリに不満がある場合には、申し込みや結納式のやり直しを求めることもあるからにほかなりません。コトバそのものよりも、コトバをあやつる能力に、マダガスカルの人びとが大きな力と価値を与えている例でしょ う。
 その一方、マダガスカルにはコトバだけでは力不足であるとの相反する習慣や考え方も見られます。その例が、古式の宣誓です。ストゥルヴカカ (sotrovokaka)では、参加者全員が王の墓から採ってきた土を入れた水を飲み、互いへの忠誠を誓いました。ヴェリラヌ(vely rano)では、籾殻と牛糞を入れた水たまりに槍を立てて忠誠を誓った後、参加者にその水を散布しました。二つの宣誓とも、これに違反して仲間を裏切ると、その人間には死がもたらされます。これはたいへんに古い習慣ですが、1895年にイメリナ王国がフランス軍に敗れた直後から中央高地一帯で生じた、反フランスや反西欧を標榜したメナランバの反乱の参加者の間では、これらの宣誓方式が復活して行われたと報告されています。
 さらに、コトバによって真偽の争いに決着がつかない時、タンゲーナ(tangena)と呼ばれる有毒な木の実を、大昔はニワトリに食べさせることにより、17世紀頃からは当事者本人たちに食べさせることにより、その生死によって判定する毒託宣が、19世紀まで広く行われていました。とりわけ邪術を行使した疑いをかけられた者に対して、この毒託宣が適用されました。あるいは、王が謀反の疑いをかけた人間たちに無罪を証明させるためにこの毒託宣を強いたり、7年に一回行われた王国の割礼祭の前などに、<ネズミを捜す>あるいは<ネズミを殺す>と称して各村において日頃から素行が悪く邪術師の疑いを持たれている人間たちにいっせいにタンゲーナの毒を飲ませ、王国を<きれいにする>ことなどが行われました。人間はコトバを持っているが、そのコトバの真偽やコ トバの内容を保証し判定するのは人間自身ではなく、神や祖先などの人間ではない存在の前に自分を委ねることにおいてであるとの考えに基づいた日本の盟神探湯と同じ習慣でしょう。
 マダガスカルにおいても、神や祖先に対し祈りを捧げたりあるいは供犠を行うことは、日常生活の中で珍しいことではありません。それは、個人によって行 われるだけではなく、家族や一族あるいは村を代表した長老男性によって公衆の面前で行われることも多々あります。当然そのような機会には、神や祖先に対し コトバを発することによって、祈りを伝え、供犠を行う理由を説明することになります。私が調査を行っているマダガスカルの北西部地方に住む稲作-牛牧民の ツィミヘティの人びとの場合には、誰がその祈りや供犠を行うのかが問題とされ、その場で実際に発せられるコトバの内容にはあまり定型性がなく、そのためとても長い唱えごとをする長老もいれば、たいへんに簡素な唱えごとをする人もいます。では、誰が集団を代表して祈りや供犠を行うことができるのかと言えば、それは<土地の主>(tompon-tany)あるいは<土地の子孫>(zafin-tany)と呼ばれるその土地に一番最初に定住し村を開いたとされる人間の父系の子孫の中の最年長男性です。これに対し、ツィミヘティに隣接する稲作民のシハナカの人びとの調査を行っている森山工さんによると、シハナカでは、このような機会に発せられるコトバはかなり定式化されており、とりわけ神や霊や祖先の中で呼び求められない存在が出ることをたいへんに気にかけるそう です(森山工『墓を生きる人々』1996)。ツィミヘティの場合、その唱えごとが短かろうがあるいは言い落としや間違いがあろうが、<土地の主>の長老が司ったかぎり祈願や供犠は有効ですが、シハナカの場合には、唱えごとの内容に言い落としや間違いが多い場合には、たとえそれが適格者や有資格者によって行われようとも、祈願や供犠のやり直しにも繋がるようです。コトバの内容かそれともコトバを発する人間か、どちらを大事と考えるかによって、文化を分けることができそうです。
 マダガスカルには、古くからヨーロッパ人たちによって注目されてきたコトバをめぐる習慣があります。それは、冗談関係、マダガスカル語でズィヴァ(ziva)あるいはルハテーニ(lohateny)と呼ばれる習慣です。人類学で良く知られている冗談関係は、母方オジとオイや祖父母と孫との間のような二者関係に基づくものですが、マダガスカルにおける冗談関係は、対岸のモザンビークやタンザニアの人びとの間でも見られるような、民族やクランなどの集団同士を単位としたものです。この冗談関係にある民族やクランに属する人同士が出会うと、お互いにからかったりあるいは日常では使用が禁止されている汚いコトバを言い合ったりします。もちろんこれは文化的また社会的に様式化された行動ですから、そのことで怒る人はいません。さらにそれだけではなく、こ の冗談関係にある民族やクランに属する人たち同士は、日常生活などにおいて相互に助け合うことが求められたり、あるいはツィミヘティの人びとの場合、葬式 の際には冗談関係にある人びとが参加しないと、かつては葬式そのものを執り行うことができなかったと言います。
 では、冗談関係にある人たちの間で交わされる、日常では使うことの許されない悪口や汚いコトバとはどんなものでしょうか。バカ、アホや「死ね!」(matesa!)の類ははまだ軽微な悪口や悪態で、メリナの人びとの間でそれを口に出したらたいへんなことになるのは、「遺体よ無くなれ!」(Vereza faty!)あるいは「このおふくろのおまんこ!」(Ity kindin'reny ity!)です。「遺体よ無くなれ!」はいかにもマダガスカル的な悪口で、マダガスカルでは祖先の墓に遺体が埋葬されないことはたいへんに悪いこととされ、場合によっては子孫に災いをもたらすことになり、生きている人は日常から「遺体が無くなる」(very faty)状態に陥ることを恐れています。そのため、海外で客死することを心配し、島外に出ることをためらうマダガスカル人が現在でもいるくらいです。
 メリナの人びとは、人前での性的な話題を避ける傾向が顕著ですし、とりわけ親族や家族の間でのそれを嫌います。そのせいか、テレビ放送が普及をはじめ た1980年代前半、ベッドシーンのある映画を子供には見せないようにとの予告なしに流してしまった国営放送のディレクターが、視聴者からの抗議で首を切られたと言います。ですから、「おふくろのおまんこ」は、一番言ってはいけない人のそれに対するあからさまな言及ですから、大いなる掟破りのコトバになる わけです。
 一方ツィミヘティの人びとの間で強く忌避される悪口は、軽微な順にあげると「死んだ犬!」(Amboa maty)、「犬のうんこを喰え!」(Homana tain'amboa!)、「死んだ犬を喰え!」(Homana amboa maty!)、そして極めつけが「犬の夫(妻)!」(Vadin'amboa!)もしくは「犬が祖先!」(Amboa razana!)です。特に最後の「犬の夫(妻)」と「犬が祖先」のいずれかを口にしたら最後、相手との間で血を見る争いになる可能性が大ですし、事を納 めるためには単なる謝罪では済まず、牛一頭を供犠し、祖先に対してもお詫びした上で、その罪を浄めてもらわなければなりません。私が調査を行っている村でも、村の集会における討議内容に激昂した男性がこのコトバを口にしたため、牛を村に差し出し供犠を行うまでの10数年間村八分にあいました。
 ツィミヘティのゆゆしき悪口の特徴は、その全てに<犬>が絡んでいることです。ツィミヘティの人びとも、猟犬や番犬として犬を飼っていますが、犬が家の中に入ることをひどく嫌います。また、ツィミヘティの人びとは、隣接する民族と比べ食物に関する禁忌が少なく、豚も猪もキツネザルもコウモリもコオロギもゲンゴロウも食べてしまいますが、犬を食べることだけはしません。ある村では、犬を食べてしまった男性が、他の村の人びとから「犬を食べるような奴と一 緒の墓に入るのはごめんだ」とのことで村から追い出され、行方知れずになったと聞きます。
 なぜこのように犬が身近な動物でありながらも忌避されるのかと村人に訊ねましたが、「犬は最低の動物である」と言うことで意見が一致したものの、なぜ 最低なのかについては共通した答えをえることができませんでした。ある人が「犬は人間のうんちを食べるからだ」と言うと他の人が「豚やニワトリだって食べるぞ」と反論しますし、ある人が「犬は肛門が見えているからだ」と言うと他の人が「山羊だってそうじゃないか」と反論しますし、ある人が「犬は人間の死体 を食べるからだ」と言うと他の人が「カラスや他の鳥だって食べるじゃないか」と反論します。
 とは言え、現代マダガスカルに生きる最強の呪文とは、このような定型化された悪口や悪態なのかもしれません。


深澤 秀夫「マダガスカルにおける呪文」
『自然と文化そしてことば』01号 葫蘆舎 2006年 pp.32-41 所収 を基に改稿   

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